そのニュースは突然舞い込んできた。
「小沢健二ライブ活動再開!13年ぶり全国ツアー決定――」

私は所謂「オリーヴ少女」世代ではないし、彼が紅白で幸せそうに「ラブリー」を歌っているところを見たのはまだ小学校低学年の頃で、特別な感情など抱いていなかった。意識し始めたのは中学2年生だったかと記憶している。ポンキッキーズの影響から、小学生のころからスチャダラパーが好きだったのだ。彼らと小沢によるコラボレーションといえば、ヒット曲「今夜はブギー・バック」があるが、これにはスチャダラ盤と呼ばれる「今夜はブギー・バック (smooth rap)」と、小沢盤と呼ばれる「今夜はブギー・バック (nice vocal)」が存在している。そういえば小沢盤の方はちゃんと聴いたことないなと思い立ち、「LIFE」をレンタルしたのであった。「ラブリー」や「ドアをノックするのは誰だ?」などのヒット曲が収録され、小沢がブレイクするきっかけとなる本作だが、リリース日は1994年。私がこのアルバムを聴いたのは1999年。ここから私の彼を追いかける日々が始まる。

そう、私が彼を意識し始めた時、彼は既にシーンから姿を消していた。最後のリリースも、TV出演も1998年で途切れている。彼について何も知らない私は、一人で彼の歴史を遡っていく。音源の購入はもちろん、何件もの古本屋に足を運び、彼が載っている雑誌を探した。東京の書店にしかバックナンバーがないと言われたら、迷わず東京へ足を運んだ。同世代に小沢健二が好きなんて人はいなかったし、未だyoutubeもmixiもない時代だ。どこに行けば彼の情報が手に入るのか分からない。何でもいいから彼のことが知りたかった。今から思うと何であんなに執着し始めたのか分からないけれど、この年頃特有の初期衝動的なものが働いていたのだと思う。

王子様と持てはやされていたこと。とんでもない皮肉屋なこと。フリッパーズギターというグループを組んでいたこと。顔を揺らしながら喋ること。良家の出であること。彼のことを知るたびに、反芻して彼の歴史を追体験しているような感覚があった。この衝動が一通り収まって、ようやく浮かんだのが「今、彼はどこで何をしているのか」という疑問である。「NYにいるらしい」「結婚したらしい」なんて噂は飛び交えど、本当のことなど誰も分からず、月日が過ぎて行った。

そして2002年冬、4thのアルバム「Eclectic」がリリースされる。今まで過去を遡ることでしか新しい彼を知ることができなかった私にとって、これは本当に大きな出来事だった。やっと小沢に追いついたのだ。交差していた時間軸がピッタリ合うはずだった。しかし、今度はここで私の方にズレが生じてしまった。

当時の私は、自分の中で小沢健二というイメージを完全に作り上げていた。別にLIFEの頃のようなバリバリのポップスを期待していたワケではないが、肩透かしを食らったような気分になったのである。というのも、「Eclectic」というアルバムは終始R&Bライクなトラックで構成されていて、それに乗せられた文芸的な歌詞や囁くような小沢の歌声に強烈な違和感を感じ、受け入れることができなかった。このアルバムのプロモーションはインタビュー数誌程度のもので、メディア露出やライブなどは一切なかったが、それさえ追うことがなかった。

私は大学生になった。出会う人は年齢も出身地も様々で、高校時代にはできなかった話題を共有する仲間が増えた。特に音楽好きな人とはすぐに意気投合し、中には小沢を好きだという人もいて、話に花が咲くこともあった。そして彼らは決まって言った、「Eclecticが好きだ」と。

それならばと2年のブランクを経て、今一度向き合うことにする。驚く、このアルバムの良さに。後悔する、見限ってしまった過去の私に。せっかく追いついたのに、なぜ手放してしまったのか。また「どこで何をやっているのか」状態になってしまった彼を想い、私はまた、追いかけ始める。

そして次に飛び込んできたのは、小説を執筆するというニュース。父である小澤俊夫氏が責任編集の季刊誌「子どもと昔話」にて連載を始めるというのだ。その名も「うさぎ!」。これには驚いた。彼はもともと音を作ったり歌ったりするよりも、歌詞を書くという能力に秀でた人だとは思っていたが、ここにきて作家デビューとは。この「うさぎ!」という作品は、童話に分類されるものの考えさせられる内容で、風刺的な、現代社会を批判するような内容が多かった。これがまた面白いのだ。今まで「点」でしか彼を捉えられなかったが、連載という確約された事実が、その点と点を結ぶ「線」にしてくれた。年に4回、季節が変わる頃に発売されるこの本を、楽しみに待った。

2006年には4年ぶりとなる全曲インストのオリジナルアルバム「毎日の環境学: Ecology Of Everyday Life」をリリース。これは「うさぎ!」のサウンドトラック的な位置づけで制作されたらしい。「うさぎ!」の世界観や彼の表現したいことが伝わってきて、微笑ましい気持ちで聴くことができたが、この作品について彼の口から語られることはなかった。

2007年、彼は『「おばさんたちが案内する未来の世界」を見る集い』というプロジェクトを開始した。映画「おばさんたちが案内する未来の世界」を上映し、観客と意見交換する、という会らしい。参加された方のレポートを見ると、否定的な意見も多かった。昔の「小沢健二=王子様」のイメージが強いせいか「こんなの小沢くんじゃない!」という人もいたが、私には彼のこういう行動は自然なものと映った。

そして、それからまた情報が途絶えた。たったひとつ、「うさぎ!」の連載を除いて。私ができるのは、彼が紡ぐ物語を待つことだけ。それは、まるで文通をしているかのような感覚だった。彼からの便りを読んで、色々な感情が巻き起こり、私なりに調べたり解釈して、彼が言いたいのはこういうことなのかな、と考えたりする。すると次の便りがやってくるのだ。それに一喜一憂して、頭の中で届くことのない手紙を書く。「拝啓、小沢健二様」と――。

そしていよいよ2010年1月19日、小沢健二13年ぶりのライブ活動再開というニュースが届く。同時に、特設サイトが開設されていて、そこには彼のインタビューが載っていた。やっと聞けた、「今」の彼の生の声。そして初めて目にする、「今」の彼の姿。

そんな嬉しいニュースの中、大阪にて行われる「釜ヶ崎アートシンポジウム」にて、彼がSkype通信にて登場すると聞き、足を運んだ。こんな形で彼の姿を見ることになるとは思いもしなかったが、見たときは、ちょっと泣いてしまった。声は変わっていなくて、少し髪が長く、何度もかき上げていた。ちょっと恥ずかしそうに、にこっと笑う笑顔は昔のままだった。

14才の時から追いかけ始めて10年、やっと追いついた。こんなにも待ち遠しかった日が、やってきたのだ。
心から思った。「待っててよかった」と。

今回のタイトル「拝啓、小沢健二様」はQuick Japanに連載さていたコラムのことで、フリッパーズギター時代からの彼のファンであるライターが執筆していた。Vol.40号では、彼女はアポなしで単独NYに飛び、噂だけを頼りに小沢健二の場所を探し当て、突撃インタビューを試みた。まぁ彼の反応は冷たいもので、特に何を聞き出せたわけではなかったが、彼女の「本当にNYにいた!」という、ライターとしてではなく1ファンとしての気持ちが痛いほどに伝わってきて、未だに忘れられない記事となっている。

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