「初めて」を大事にする方だ。
初めてエヴァを観たときのこと。初めていとうせいこう「ワールズ・エンド・ガーデン」を読んだときのこと。それらに初めて触れたときの、体から溢れるような高揚感を鮮明に覚えている。
この世には名作とされる本や映画やゲームや音楽がたくさんあって、わたしの一生を使ってもそれを全て体験することはできない。本当は全部すぐにでも飲み込んでしまいたいけれど、「これは今のタイミングじゃないな」と温めたりすることがよくある。
高校の頃、三島由紀夫賞を受賞している作品群が好みだった。星野智幸「目覚めよと人魚は歌う」、小野正嗣「にぎやかな湾に背負われた船」、舞城王太郎「阿修羅ガール」、どれもわたしにとって思い出深い作品たちだ。
2004年の受賞作は矢作俊彦「ららら科學の子」であった。「レベルが違う」「近代日本文学の傑作」と賞賛され、満場一致での受賞だった。表紙に鉄腕アトムが描かれた紫色の装丁。当時のわたしは嬉々として読み始めたが、最初の数ページを過ぎて、「何か違う、きっとこれは今のわたしが読む本じゃない」と思い、読むのをやめた。
そして今日、図書館に本を返しに行き、次は何を読もうかと陳列棚をふらふらしていて、9年ぶりに目に飛び込んできたのがそれだった。「ついにこの時が来たんだなぁ」とにやにやしながら手に取った一冊が愛おしくて仕方なかった。こういう本との出会いや再会は、わたしだけの小さな運命だと思う。
同じように温めていた作品のひとつに「機動警察パトレイバー2 the Movie」がある。
他の劇場版アニメとは一線を画して扱われている印象があって、たぶん良い/面白い/好きとかじゃなくて、観た人それぞれにとって大切な作品なんだろうと思っていた。
先日、京都文化博物館で同じく押井守監督作品「天使のたまご」の上映があって、観終わった後にもやもやしていたら
「パトレイバー2はね、天使のたまごのその後の物語なんじゃないかと思うよ。」
なんて言われてしまって、居ても立ってもいられなくなった。
その翌々週くらいに同じスクリーンで「パトレイバー2」を観た。青い画面ともの悲しい音楽にやられて、オープニングの時点で訳もわからずちょっと泣いた。南雲が車の窓をあけたときに入ってくるすきま風とか、待機中に次第に強くなる雪とか、些細な描写に心をぐっと持っていかれた。
「少女」は南雲であり、「少年」は柘植だ。わたしはパトレイバーというシリーズの背景や意図を知らないけれど、続いていると思った。「天使のたまご」で少年は少女に置いていかれた。そして「パトレイバー2」では、少年を少女が迎えに行くのだ。
ラストシーンからエンディングにかけての流れは本当に見事で、スタッフロールの最中はしんしんと自分の胸に雪が積もっていくような感覚になった。1993年の作品が、公開から20年経った今なお、こんな体験をさせてくれることに嬉しくなった。今年2013年に公開される映画が、20年後の2033年、誰かをこんな気持ちにさせるのだろうか。
この「初めて」を、死ぬまで追い求めてるんだろうなと思う。70になっても80になっても、胸が熱くなるような何かに出会いたい。