手紙を書くことが好きだ。
そして手紙をもらうことがとても好きだ。
ポストで見つけたときのうれしさ、その人の字を見たときの安心感、封を開けたときにこぼれ出す空気。一気に読むのがもったいなくて途中で読むのをやめてみたり、消印を見て自分の家に届くまでにどのくらいかかったのだろうと想像したりする。自分の部屋にあっても、いつまでもわたしの色には染まらない、遠くからの、誰かからのもの。
たまに実家に帰って祖母の部屋を訪れると、わたしや親戚からの葉書で壁が埋め尽くされていて、それを毎日眺めているのだという。わたしも旅行先や美術館などを訪れた際に葉書を購入しては、「こんなところに行ったよ、こんなものを見たよ」と報告したりしている。
instagramを開けば、世界各地でみんなが楽しい日々を過ごしている。わたしの知らない土地で「こんなことがあった、こんなものを食べた」という友人たちの投稿を見るのはすごく楽しい。投稿して少し経てば、「likes your photo」のnotificationでiPhoneが埋まって、特に意味もなくついぼんやりスクロールしてしまう。
けれど祖母にはそういう習慣は無い。概念もない。ひとたびスクロールすればいくらでも表示される景色を、たったひとつ切り取って壁に貼っている。
「もうわたしはどこにも行けないから、わたしの分までいろんなところに行ってね。話を聞かせてね。」
そもそも原体験として、高校時代留学していたときに慣れない土地での暮らしで何よりも励まされたのが、日本から届く手紙だった。今でも大事に取ってあるし、どれだけ力をもらったか計り知れない。あの届いたときの嬉しさたるや、言葉では言い表せなかった。
不思議なもので、手紙というのは自分がちょっと落ち込んだりしているときに届くことが多いのだ。すると塞いだ気持ちは瞬く間に飛んでいく。わたしの手紙も、いろんな街を飛び越えて相手に届く時、そんな存在であったらと思う。
今ではわたしが送るばかりなので、旅先葉書交換はわたしもしてみたいなぁ。どなたか。